山口光恒研究会 卒業生の諸君へ

第8期生 2005年3月卒業



卒業生名

自筆署名

他人を褒める勇気

 諸君卒業おめでとう。心からお祝い申し上げる。君たちの卒業を誰よりも喜んでおられるのは君たちのご両親或いは保護者の方々である。まずは卒業証書を添えてこの方々にお礼の言葉を述べてほしい。君たちは小生の期待によくこたえてくれ、最後の半年間の伸びはめざましいものがあった。君たちは小生の誇りでもある。
 卒業に際して君たちに「他人を褒める勇気」という言葉を贈る。人間の心の中には常に他人に褒められたいという気持ちが潜んでいる。これは諸君が自らの胸に手を当てるまでもなく同意するであろう。その一方で他人との比較では自分を実像以上に優れていると思いがちである。しかし、「他人は自分が思うほど愚かではなく、自分は自分が思うほど賢くはない」のである。
 諸君が社会に出ると色々な局面で自分より優れていると感じる人間に出会うと思う。そうした時、自分の気持ちに素直に従って相手を褒めることが出来るかどうかで諸君の価値が決まる。心の中では相手が自分より優れている点を認めつつ、他人、しかも場合によっては直接自分と競争相手である他人を、本人や第三者の前で褒めることはかなり勇気のいることである。場合によってはそれが直接人事考課に響くかもしれない。
 相手を素直に褒められるかどうか、それは諸君がある問題に全力で取り組んだかどうかにかかっている。もし諸君が日頃からある問題に取り組み、あらゆる材料を集め、その解決策につき考えに考え抜いた結果、ある結論に到達したとしよう。しかし、その結論よりも、相手の考えの方が客観的に見て優れていると思う時には、諸君は素直に相手を褒めることが出来る。スポーツで言うグッドルーザーになれる。しかし諸君がどこかで手抜きをしたと感じている時は、必ず言い訳をしたくなるものである。実は自分はもっと出来るのだが、ついサッカーの中継を見てしまったので詰めが甘かったなど、理由はいくらでもつけられる。ここで考えてほしいのは、言い訳をするということは、実は自分として全力を出し切らなかったということと同義だと言うことである。このことを肝に銘じてほしい。
 ここで第三者の視点から考えてみる。言い訳ほど見苦しいものはない。相手を率直に褒める人間はそれだけ器が大きいし、将来の成長も見込める人間だと評価される。もし小生が諸君の上司だったとしたら、表面的には小言を言うかもしれないが、内心はその部下に対し一層の信頼を置くようになる。全力を尽くしても及ばなかったことを認めることが出来れば、必ず今後は更なる努力をしようという気持ちになる。ここで一旦言い訳をしてしまうと、次の時にも同じことを繰り返しがちであり、その結果、その人間の成長が止まるのである。
 諸君はこれから日本、いや世界を背負って立つ人間であるが、まだまだいたらないところが多い。常に物事に全力であたると共に、これから長い一生をかけて着実に成長してこの任に当たって貰いたい。その第一歩が「相手を褒める勇気」を持つこと、これである。これを諸君に対するお祝いの言葉とする。
 さあ、慶應義塾の卒業生として胸を張って社会に巣立ってほしい。


2005年3月吉日